まず、この事務所の移転の経緯についてお話ししたいと思います。
事務所案内でも触れたとおり、今年の5月に福島県郡山市から事務所を移転、開業しました。

皆様ご存じのとおり、昨年の3月11日に東日本大震災が発生。
また、それに伴い、福島第一原発で事故が発生し大量の放射性物質が放出、その多くが雪や雨と一緒に大地に降り注ぐこととなってしまいました。
私が住んでいた郡山市は原発から約70キロ。
まさか、原発事故の影響がここまで及ぶとは考えもしませんでした。

私と家族は3月12日の夜には妻の実家のある長野市に向けて出発しました。
確か、隣の市の田村市の一部が屋内退避区域になったタイミングです。
13日の早朝には長野市に到着。
当初は1週間ほど避難するつもりだったのですが、その後の原発の状況から子供たちを帰すということはできず・・・。
結局、3月下旬に私だけ福島県に帰り、妻子は長野に置いたまま、という形にならざるを得ませんでした。
所謂、「自主避難」というやつです。

その後、1年間、悩みに悩みました。

子どもたちを福島に帰すことも考えましたが、それは、子どもたちの行動に様々な制限を加えることとなります。
いまだに、郡山市や福島市では、子どもたちが外で遊んでいるのを見かけることは少ない。
除染の済んだ公園等であれば、線量的には安全なように思えますが、やはり、安全と安心は別物。
多くの親御さんは、安心することができず、子どもを外で遊ばせられないのです。
除染の済んでいない山や川などは、言うまでもありません。
子どもが自然と触れ合う、ということが非常に難しい環境と言わざるを得ません。
個人的には放射線で健康被害が生じるとは考えていませんが、このように子供たちの行動に制限を加えざるを得ないことが我慢なりませんでした。
以上の考察から、子ども達を福島に帰す、という選択はなくなりました。

当面二重生活を継続することも考えました。
しばらくは無理をすることはできます。
恐らく、数年は何とかなるでしょう。
しかし、いつかはその歪が限界に達してしまう。
そうなって無責任に倒れて突然に仕事に穴をあけてしまうよりも、余力がある今のうちに計画的に事務所を閉めたほうがよっぽどマシ。
最終的に、自分が長野に移住することが、自分にとっても、自分の家族にとっても、自分のクライアントにとっても、最良の選択であるとの結論に至りました。

そのような訳で、長野への移住、事務所移転を決定した次第です。